財務DD(財務デューデリジェンス)で人件費を確認するときは、給与総額の推移だけでなく、内訳と制度の運用実態まで踏み込みます。未払残業代、社会保険の加入漏れ、退職金の積立不足は決算書に表れにくい簿外債務になりやすく、買収価格や契約条件に直結するためです。
この記事の結論
人件費のDDは、賃金台帳・勤怠記録・社会保険の届出・退職金規程を突き合わせ、「過去の運用から生じた簿外債務」と「買収後も続く人件費の水準」の2つを金額にする作業です。
- 残業代は勤怠と給与を照合し、固定残業代や管理監督者の扱いが実態に合っているかを確かめる
- 社会保険は全従業員と被保険者の一覧を突き合わせ、加入漏れと標準報酬月額の届出誤りを探す
- 退職金は規程どおりの要支給額と外部積立を比べ、不足額を負債に準じて扱うかを検討する
- 見つけた論点は、価格調整・表明保証・正常収益力の調整のどれで手当てするかまで決める
人件費のDDでは何を確認する?
人件費を確認する目的は2つあります。1つは、残業代の計算誤りや社会保険の加入漏れなど、過去の運用から生じた「簿外債務」を見つけることです。もう1つは、買収後も続く人件費の水準を見極め、正常収益力(一時的な要因を除いた、事業の実力ベースの利益)や事業計画に反映することです。
給与総額が毎期ほぼ同じでも、それだけで安心はできません。残業代の計算方法や社会保険の加入範囲は、規程と実際の運用がずれていても損益計算書には表れないからです。そのため、金額の分析と並行して、規程・届出・勤怠記録といった「運用の証拠」を集めます。
| 確認する領域 | 主な資料 | 見つけたい論点 |
|---|---|---|
| 人件費の推移・構成 | 月次試算表、賃金台帳、部門別の人員表 | 人数と単価の変化、一時的な支出 |
| 残業代 | タイムカード・勤怠データ、就業規則・賃金規程、36協定 | 未払残業代、固定残業代の超過分 |
| 社会保険・労働保険 | 算定基礎届・月額変更届・賞与支払届の控え、労働保険の年度更新の申告書、保険料の納付記録 | 加入漏れ、標準報酬月額の誤り、滞納 |
| 源泉所得税・住民税 | 源泉所得税の納付書、源泉徴収簿、法定調書合計表 | 納付漏れ、外注扱いの人への源泉漏れ |
| 退職金 | 退職金規程、中小企業退職金共済などの加入記録、引当金の明細 | 積立不足、規程と支給実績のずれ |
| 役員・同族関係者 | 株主総会議事録、役員報酬の決定資料 | 報酬の水準、家族への給与、役員退職金の予定 |
資料は直近の数期分をそろえ、気になる論点が見つかった項目は月次や従業員ごとの明細まで掘り下げます。人件費を含めた会社全体の数字の見方は、中小企業の財務コンサルティングの進め方でも整理しています。
人件費の推移と法定福利費の比率から何がわかる?
最初に、人件費を「人数×1人当たりの単価」に分けて期間比較します。正社員・パート・派遣・外注を分けて並べると、総額は横ばいでも正社員が減って外注費が増えている、といった構造の変化が見えてきます。
月次の推移も確認します。決算月にだけ計上される賞与や一時金、繁忙期の臨時雇用、退職者への一時的な支払いは、正常収益力を考えるうえで「続くもの」と「続かないもの」に分けておく必要があります。
次に、法定福利費(社会保険料などの会社負担分)が給与に対して妥当な水準かを確かめます。加入すべき人が正しく加入していれば、法定福利費は料率からおおむね逆算できる水準に収まります。大きく下回る場合は、加入漏れや標準報酬月額の過少な届出を疑う手がかりになります。
計算例:法定福利費の会社負担(協会けんぽ北海道の令和8年度の料率)
例えば、標準報酬月額30万円・40歳未満の従業員1人について、会社が負担する保険料(月額)を試算すると次のとおりです。
- 健康保険:300,000円×10.28%÷2=15,420円
- 厚生年金保険:300,000円×18.3%÷2=27,450円
- 子ども・子育て支援金:300,000円×0.23%÷2=345円
- 雇用保険(事業主負担):300,000円×8.5/1000=2,550円
合計は15,420円+27,450円+345円+2,550円=45,765円で、給与に対する割合は45,765円÷300,000円=約15.3%です。40〜64歳の人は介護保険料(1.62%の半分)が加わり、労災保険料(業種で異なる)と子ども・子育て拠出金は会社だけが別に負担します。
標準報酬月額は、基本給だけでなく残業代や通勤手当などを含めた報酬で届け出ます。残業が多いのに基本給だけで届け出ていると、法定福利費の比率は低く出ます。役員報酬や、社会保険に加入しないパートの給与が多い会社は比率がもともと低くなるため、対象者を分けて比べます。
未払残業代はどう見つけて試算する?
勤怠記録(実際の労働時間)、給与台帳(支払った残業代)、会計帳簿(計上した給与)の3つを突き合わせます。部署や職種ごとにサンプルの従業員を選び、月ごとに「記録上の時間外労働の時間×時間単価×割増率」で計算した額と、実際の支給額を比べると、計算方法の誤りや未払いの有無がわかります。
固定残業代(みなし残業代)を払っている場合
固定残業代を採用している会社では、次の3点を確認します。①基本給と固定残業代が明確に区別されているか、②何時間分の残業代かが示されているか、③その時間を超えた分を追加で支払っているか、です。
固定残業代として認められないと影響が大きい
区別が不十分などの理由で固定残業代の定めが有効と認められない場合、その手当は残業代を支払ったことにならず、時間単価を計算する基礎にも含まれることがあります。未払額が想定より大きくふくらむため、就業規則・雇用契約書・給与明細の記載をあわせて確認します。
管理監督者と労働時間の記録
「管理職だから残業代の対象外」としている従業員が、労働基準法上の管理監督者に当たるかは、肩書ではなく実態で判断されます。経営者と一体的な立場にあるか、出退勤に裁量があるか、地位にふさわしい待遇を受けているかが判断の目安です。管理監督者に当たる場合でも、深夜の割増賃金は支払う必要があります。
あわせて、日々の労働時間を一定の単位で切り捨てていないか、時間外・休日労働に関する協定(36協定)を締結・届出したうえで上限規制の範囲で運用しているかも確認します。上限規制の猶予期間が終わった建設業や運送業の会社では、とくに重点的に見ます。
計算例:未払残業代の概算
例えば、月20時間分の固定残業代を払っている従業員10人が、実際には平均で月30時間の時間外労働をしていて、超えた分を払っていなかった場合です。時間単価は1,500円、時間外労働の割増率は25%、試算期間は24か月と仮定します。
- 1人1か月の超過時間:30時間−20時間=10時間
- 1時間あたりの残業代:1,500円×1.25=1,875円
- 1人1か月の未払額:1,875円×10時間=18,750円
- 10人分の月額:18,750円×10人=187,500円
- 試算期間の合計:187,500円×24か月=4,500,000円
実際にさかのぼる期間は、賃金請求権の時効や在籍期間によって変わり、遅延損害金や社会保険料への影響も加わります。
試算した金額の評価や、請求を受ける可能性の見立ては、社会保険労務士や弁護士の見解も踏まえて行います。財務DDでは、試算の前提(対象者・期間・時間単価)を明示し、前提を変えたときに金額がどう動くかも示しておくと、交渉で使いやすくなります。
社会保険・労働保険の加入漏れはどう確かめる?
賃金台帳に載っている全員と、社会保険・雇用保険の被保険者の一覧を突き合わせ、要件を満たすのに加入していない人がいないかを確認します。正社員の所定労働時間・所定労働日数の4分の3以上働く人は加入対象で、それより短い人は短時間労働者の要件で判定します。
| 確認項目 | 判定・確認の方法 | 見落としやすい点 |
|---|---|---|
| 短時間労働者の社会保険 | 週20時間以上・企業規模51人以上・学生でないこと(月8.8万円の賃金要件は2026年10月1日に撤廃) | 撤廃前の基準で判定したまま加入させていない |
| 標準報酬月額 | 算定基礎届・月額変更届と、残業代や手当を含む実際の報酬を比べる | 昇給や手当の変更後に月額変更届を出していない |
| 賞与 | 賞与支払届と賞与の支給実績を照合する | 決算賞与や寸志の届出漏れ |
| 雇用保険 | 週20時間以上働く人の加入を確認する(2028年10月1日から週10時間以上に拡大) | パート・アルバイトの加入漏れ |
| 外注・業務委託 | 契約書と働き方の実態(指揮命令、時間の拘束、報酬の決め方)を確認する | 実態が雇用なら、社会保険・源泉所得税・消費税に影響 |
加入漏れが見つかると、保険料を徴収できる期間の範囲でさかのぼって加入し、会社負担分と本人負担分をまとめて納めることになります。本人負担分を退職者から回収するのは難しく、実際には会社の負担になりやすい点も見込んでおきます。
買収後に増える社会保険料も見込む
過去分だけでなく、制度改正で将来増える負担も事業計画に織り込みます。短時間労働者が加入対象となる企業規模の要件は、36人以上(2027年10月)、21人以上(2029年10月)、11人以上(2032年10月)と段階的に広がります。2035年10月には10人以下の企業も対象になります。個人事業所も、2029年10月から常時5人以上を使用する全業種が対象になります(既存の事業所は当分の間対象外)。
無料ツール社会保険料を等級表から計算する報酬月額から標準報酬月額の等級と月々の保険料を試算し、法定福利費の水準を確かめられます。計算する
退職金の積立不足はどう測る?
退職金制度がある会社では、規程に基づく将来の支払額と、それに備えた積立の状況を比べます。税務上は退職給与引当金の繰入額が損金にならないこともあり、中小企業では引当金を計上していないことがあります。その場合、規程どおりの要支給額が簿外の負債になっている可能性があります。
- 規程を確認する就業規則・退職金規程の有無を確認し、退職金の算定方法(基本給連動、ポイント制、定額など)と、自己都合・会社都合の支給率の違いを把握します。規程がなくても、慣行として支給してきた実績があれば支払義務が問題になることがあるため、過去の支給実績も見ます。
- 外部積立を確認する中小企業退職金共済(中退共)など外部積立制度への加入状況と、掛金の納付実績を確認します。
- 引当金を確認する決算書に退職給付引当金が計上されているか、計上額の算定根拠(期末に全員が自己都合で退職したと仮定した要支給額など)を確認します。
- 将来の支払見込みを試算する勤続年数の長い従業員が多い場合や、買収後に人員の見直しを予定している場合は、会社都合の支給率でも概算します。
| 積立の方法 | 確認すること |
|---|---|
| 社内で準備(規程のみ) | 要支給額の全額が会社の負担になる。支払時の資金の手当てがあるか |
| 中小企業退職金共済 | 退職金は共済から本人に直接支払われる。規程で会社の支給額から差し引く定めがあるか |
| 確定給付企業年金 | 年金資産と給付の見込額の差(積立不足)と、掛金の引上げの予定 |
| 企業型確定拠出年金 | 掛金を拠出すれば会社の追加負担は原則生じない。規約どおりに拠出しているか |
| 生命保険などによる準備 | 解約返戻金が退職金の財源として確保されているか、保険積立金の簿価との差 |
計算例:会社が自ら用意すべき退職金
例えば、規程による期末の要支給額(全員が自己都合で退職したと仮定した額)が4,800万円で、規程上、会社の支給額から差し引くことになっている中退共からの支給見込額が3,000万円の場合です。
48,000,000円−30,000,000円=18,000,000円
この1,800万円が決算書に計上されていなければ、負債に準じるものとして株式価値から差し引くか、譲渡価格の調整で手当てすることを検討します。
役員報酬や家族への給与はどう扱う?
オーナー企業では、役員報酬や家族への給与が、事業の実力とは別の事情で決められていることがあります。正常収益力を見るときは、買収後に必要となる経営者の人件費に置き換えたり、勤務実態のない家族への給与を除いたりして調整します。報酬が低すぎる場合も、後任の経営者を迎えれば人件費は増えるため、利益が高く見えすぎていないかを確かめます。
株式の引渡し(クロージング)にあわせて売り手の役員に退職金を支給する計画がある場合は、その分だけ会社の資金と純資産が減ります。法人税では、役員退職金のうち不相当に高額な部分は損金になりません。最終報酬月額・在任年数・功績倍率から目安を出す「功績倍率法」で、損金算入の目安を確認しておきます。
無料ツール役員退職金の目安を功績倍率法で計算する最終報酬月額・在任年数・功績倍率を入れて、損金算入の目安となる支給額を試算できます。計算する
受け取る側の課税もあわせて確認する
役員退職金は退職所得として、退職所得控除(勤続20年以下は40万円×勤続年数で最低80万円、20年超は800万円+70万円×(勤続年数−20年))を差し引いて課税されます。売り手の手取りと、買い手側の資金負担・損金算入の両面から支給額を検討します。
支給の根拠となる役員退職慰労金規程や株主総会の決議、財源となる保険の有無も確認します。役員退職金の決め方や注意点は、役員退職金の活用方法と注意点で詳しく取り上げています。
見つかった論点は価格と契約にどう反映する?
見つけた論点は、性質に応じて反映先を分けます。過去の運用から生じた債務は譲渡価格から差し引き、買収後も続く人件費の増加は正常収益力や事業計画に織り込みます。金額が確定しないものは、契約条項で手当てします。
| 論点の性質 | 主な反映先 | 例 |
|---|---|---|
| 金額を見積もれる過去分の債務 | 価格調整(負債に準じるものとして差し引く) | 未払残業代の試算額、遡及加入の保険料、退職金の積立不足 |
| 金額が確定しない潜在的な債務 | 表明保証・特別補償の条項 | 退職者からの残業代の請求、労働基準監督署の調査 |
| 買収後も続く人件費の増加 | 正常収益力・事業計画の調整 | 是正後の残業代、社会保険の適用拡大、最低賃金の改定 |
| 手続きで直せる不備 | クロージング前の是正(取引実行の前提条件) | 未加入者の加入手続き、36協定の締結・届出、規程の整備 |
契約条項の設計は弁護士と、労務の是正手続きは社会保険労務士と連携して進めます。財務DDの役割は、各論点を金額に置き換え、前提とともに交渉で使える形にして示すことです。
人件費の論点が価格にどこまで響くかは、規程と運用の実態で変わります。買い手・売り手どちらの立場でも、初回無料でご相談いただけます。
無料で相談する北海道の会社で人件費を見るときの注意点
北海道の会社では、最低賃金や保険料率、季節による人員の変動といった地域の事情も、人件費の数字に影響します。道外の会社の数値や前年の料率をそのまま当てはめないよう注意します。
北海道の会社で確認したいポイント
- 北海道最低賃金は2026年10月1日から1,131円(それまでは1,075円)。月給制の人も時間単価に換算し、改定後の賃金が下回っていないかを確認します。
- 協会けんぽ北海道の健康保険料率は令和8年3月分から10.28%(介護保険料率1.62%)。料率は都道府県ごとに違うため、法定福利費の検証には北海道の料率を使います。
- 建設業・観光業・農業など、冬と夏で人員が大きく変わる会社では、季節雇用の人の雇用保険の区分(短期雇用特例被保険者)や、毎年同じ人を再雇用している場合の有給休暇・社会保険の扱いを確認します。
- 冬季の燃料手当(暖房手当)などの季節手当を支給している場合は、支給の根拠と、買収後も続けるかどうかを確認します。
よくある質問
財務DDと労務DDは何が違いますか?
財務DDは、人件費の論点を簿外債務や正常収益力への影響といった金額に置き換えることが中心です。労務DDは、労働関係の法令違反の有無や紛争のリスクを法的な観点から調べます。人件費の論点は両方にまたがるため、資料を共有して並行して進めると効率的です。
売り手として、DDの前に準備しておくことはありますか?
勤怠記録・賃金台帳・社会保険の届出の控え・退職金規程を、同じ期間でそろえて出せるようにしておくと確認が早く進みます。加入漏れなど自社で直せる不備は、交渉が始まる前に是正しておくほうが、価格への影響を抑えやすくなります。
未払残業代が見つかったら、M&Aは中止になりますか?
中止になるとは限りません。金額を試算したうえで、譲渡価格からの差し引きや補償条項で手当てする方法があります。あわせて、是正の見込みと再発を防ぐ勤怠管理の体制も評価します。
賞与引当金や未払の社会保険料はどう確認しますか?
決算日時点で発生している賞与や社会保険料が、負債として計上されているかを確認します。具体的な手順は賞与引当金・未払社会保険の検証ポイントで整理しています。
従業員が数人の会社でも、ここまで確認が必要ですか?
規模が小さい会社ほど、勤怠の記録や規程が整っていないことがあり、論点の影響が譲渡価格に比べて大きくなる場合があります。資料の量に合わせて、残業代・社会保険・退職金のうち影響の大きい項目に絞って確認するのが現実的です。
まとめ
人件費のDDは、給与総額の推移を眺めるだけでは足りず、勤怠・給与・社会保険・退職金規程を突き合わせて、簿外債務と買収後の人件費を金額にすることが目的です。見つけた論点は、価格調整・契約条項・正常収益力のどこに反映するかまで決めて、はじめて交渉で使える材料になります。北海道の会社では、最低賃金の改定や季節雇用など地域特有の論点もあわせて確認しましょう。
札幌の公認会計士・税理士事務所
M&Aの財務DD・人件費の分析のご相談は、ジェイスタート会計事務所へ
- 初回相談は無料(オンライン対応可)
- フォーム・LINEは24時間受付、翌営業日までにご返信
- その場でご契約を迫ることはありません
対応:法人の決算・税務顧問/個人事業主の確定申告/相続・贈与・事業承継/融資・資金繰り
出典・参考(公的機関)
本記事は2026年10月時点の法令等に基づく一般的な解説です。個別の状況により取扱いが異なる場合がありますので、実際の申告・手続きは税理士等の専門家にご相談ください。
更新履歴:2026年10月 全面改訂
